恋愛観分析

 ある日マクドナルドで本を読んでいたら、隣に座っている女性が電話でどうも恋愛相談を受けているらしく、どうも深い恋愛観についての話をしているらしいということがありました。恋愛下手な私はそれが気になって気になって、聞き耳を立てたいがそれは良くないような気もするし、本の続きを読みたいがやっぱり聞き耳を立てたい気もするし、という葛藤にどうしようもなくなったので、せっかくだから自分も恋愛観について考察してみることにしました。黒歴史になりそうな予感がするのですが、旅の恥はかき捨て、人生は旅路であるということでうやむやにして記録することにしました。
 まずはじめに、以下で述べるモデルは、自分(主体)にとって相手(客体)はどのような位置づけにあるかという観点から論じていきたいと思います。この場合、2人の関係性を考える場合は、お互いがお互いをどのような位置づけで認識しているかという形で論じることができます。
 また、以下で述べるモデルでは「結婚」や「彼氏彼女の関係」のようなある種、約束事か契約のような関係性については別に考えることとします。自分が相手をどのよう認識しているかということにのみ注意し、その上で「親友だよね」とか「友達以上恋人未満だね」というようなことについて考えていきたいと思います。

2軸による分類(愛情×意志)

 まずはじめに、2つの軸により自分にとっての他者の位置づけを分類したいと思います。軸は、以下の2つです。

  • 愛情(相手を自分に近しく感じる度合い、感情の起こる度合い、感性によるもの)
  • 意志(相手を認知する度合い、選択した責任を感じる度合い、理性によるもの)

けっこうアバウトだなとは思うのですが、言葉を駆使して説明すると、以下のようなものを考えています。
 1つ目の「愛情」の軸は、いわゆる友情や愛情、家族愛のような感情的なものの度合いを想定しています。友情や愛情を本質的には同じものと捉え、相手をどれだけ自分に近しく感じるか、どれだけ多くの物を感覚的に共有できているかという一元化した形で考えています。例えば、モノのを相手に渡す場合にどれくらい自分側の損失を受け入れられるかというところで、その度合いを測れるかと思います。赤の他人であれば物々交換(貸し借りであれば消耗の分利息を付ける)までという感覚で、友人であればたまに食事をおごったりや利息無しでの貸し借りをしたりもOKでしょうか。恋人であれば結構なものを無償で与えられ、家族であれば家計や人生を1つにするぐらい多くのモノを共有できると思います。*1この違いは「相手のことをより自分に近しいと感じていれば、モノの移動においてコストはより小さくなる」という観点で見ています。*2
 2つ目の「意志」の軸は、いわゆる受動的であったり能動的であったりというというところの度合いを想定しています。あるいは区別する上での積極性の度合いともいえるかもしれません。例えば他人の中にも、「まったく知らない他人」と「顔と名前は知っているぐらいの他人」の差があるでしょう。恋人の中にも「この人しかいないと選んだ恋人」と「告白されて好きになった恋人」の差があるのではないかと思います。ここには愛情のような感性によるものとは別に理性的な違いがあると考え、そうしたものを1つの軸として区別することとします。
 以上を踏まえ、縦軸に「意志」を置き、横軸に「愛情」をおいて、いくつかの単語を分類すると、以下のように配置できるのではないでしょうか。

ただしこのような平面を考えたとしても「赤の他人」と「同居人」が同じ意志レベルとは考えられませんので、意志と愛情にはある程度の相関を考慮した上での配置といえるでしょう。*3

友人〜恋人付近のケーススタディ

 恋愛観の問題というのは、愛情の軸における友人〜恋人付近に境目をどう置くかというところが話題になるかと思います。このあたりについて、思い付くいくつかのケースについて上記の2軸において考察してみたいと思います。簡単のため、以下の4つの場合に分けて考えます。

 まずはじめに、「友達以上恋人未満」という言葉について考えてみたいと思います。感覚としてはほぼ恋人なんだけど、付き合っているわけではないよねというようなところ。これを通常の友達や恋人とどう区別するかというのはありがちな問題かと思います。これは結局Bのタイプに当てはまるのではないかと思います。感覚としては恋人、でも「この人と関係をもつ」と選択したわけではないという位置づけです。似たような意味合いとして、恋人ではないけど同じぐらい大切な「親友」なんかもあてはまるかと思います。
 他に、「告白されたのでとりあえず付き合ってみた」とか「社会勉強で付き合ってる」みたいなパターンもあるのではないかと思います。こちらはそこまで好きじゃないんだけど、積極的に他とは区別するという意思が働いていますから、Cのタイプに当てはまるかと思います。Cには他に「キープ」であるとか「なりゆきで」なんてところもあてはまってしまうのではないかと思います。
 また、微妙なところで「好きなんだけど結婚する気はない」というような場合はどう分類できるでしょうか。これは、言葉としては同じでも2つのタイプがあるかと思います。1つはCのタイプ。このタイプは結局、「そこまで好きじゃない」ということでしょう。もう1つはBのタイプ。こちらは、「好きなんだけど、決められない」というところだと思います。相手をAに配置するには「この人に決めた」というような意志決定を前提としています。意志を決めるには勇気がもてないような状況といえるでしょう。
 以上のようなことを考えたとき、幸せな恋愛をするのにもっとも重要なのは「お互いにお互いの分類が同じ位置にある」ということなのではないかと思います。お互いにAであれば、外部の事情さえ整えば結婚しちゃうのではないかと思います。お互いにBであれば、きっとズルズルと彼氏彼女の関係を続けるのではないかと思います。結婚するしないでもめるようなときは、AとBでズレがあったときでしょう。AとBはお互い十分に想い合っているのだから、それを好き嫌いの問題ばかりで議論しては状況が悪化してしまいそうです。もしもAとCのズレだとしたらAの方はかわいそうとしかいいようがありません。

恋愛観を2軸上の推移で考える

 以上のような空間を考えた場合、個人の恋愛観というのは、相手の位置づけが関係が深まる中でA〜Dをどのように推移するかという形で議論できると思います。例えば以下のようなものが考えられるでしょう。

  • 「ひとめぼれ」タイプの方は、運命の人とはきっと会っていきなりAに配置してしまうのでしょう。
  • 「友情と愛情は違う」というような方は、B→AのルートとD→Cのルートが明確に分かれているのかもしれません。
  • 「好きになってくれる人が好き」は、D→AとかC→Aのルートが不連続に確保されているということなのでしょう。
  • 恋愛を友情の延長で考えている方は、D→C→B→Aで連続に推移していくのではないかと思います。

自分の恋愛観

 きっと赤の他人からすればまったく興味はないでしょうが、私の恋愛観にはD→B→Aのルートが存在しているような気がします。別に同僚であるとかよく会う人間でなくとも、「とりあえずデートしてお互いのこともうちょっとよく知ろうぜ」みたいな発想があるからです。Aに行くにはBを経由する必要があるのは感じていて、Bを増やしその中から「この人に決めよう」と意志を固めてAへ移して初めて恋人として認識しようとしているようなところがあります。恋愛観に関してどうも周りから誤解を受けているところがあるような気がしていたので、通常のD→C→B→A以外にも自分の中にルートがあるからなのだと自分で理解できてすっきりしたような気がします。
 そうなってしまったのはきっと、私にはCの数が少ないのとそれにもかかわらずBの数が多い方が幸せだと思っているからなのではないかと推測します。正攻法を考えるなら、いろんな所へ頻繁に顔を出していろんな人と仲良くなってDの数を増やし、その中からBが現れてくるのを待つべきなのだろうなという気がします。以上に対する考察を今後の課題(?)としたいと思います。

*1:これはあくまでも例で、家庭崩壊していて愛情なんてないけど家族だから家計は1つというような外部要因による場合は別とします。

*2:極限として、相手と自分が一体であれば、相手にモノを与えたとしても、相手と自分は一体であるという前提なのでモノの移動は起こっていないと考えることができます。

*3:垂直に交わっていない形で2軸をとり、垂直に表現し直したと考えることもできるかもしれません。基底を変換するような感じで。