精神分析とは何か

今期、英語Readingの講義で精神分析についての文章を読みました。そこで精神分析という分野に興味をもったので、自分なりのアイデアをレポートにして提出しました。せっかくなのでブログに貼り付けます。
ただ、この講義かなり緩い講義で、「800字以上書いて出してくれればいいから。テーマは何でもいい。」そんなスタンス。ですので、大雑把ではありますが。。。しかも、浅学のまま作った文章なので、間違っている部分多そうで怖いです。。

遺伝子から文化へ〜精神分析とは何か?〜

 リチャード・ドーキンスは、著書『利己的な遺伝子』の中で文化における最小単位として自己複製子「ミーム」を提唱した。それによって、文化は無数のミームが集まってできたミーム・プールとして捉えられるようになった。本レポートは、ミームを中心に語られる社会学の中で、精神分析がどのような役割を担い得るかを考察する。イメージを得やすくするため、遺伝子を中心に語られる動物学からの類推を中心に議論を進める。
 はじめに、これから精神分析を捉えなおす文脈である「文化」について扱う。『利己的な遺伝子』において動物個体は、遺伝子の生存率を高めるための機械として扱われた。生命誕生からの歴史の中で突如現れた自己複製という性質をもった物質は、数を増やし淘汰し変化しながら自己保存のための仕組みを発達させた。そして現在まで仕組みをを進化させてきた結果が、生物という生存機械だというのである。そして、生物同士の相互作用によって作り出される系は、一般的に生態系として認識されている。では、社会学という文脈において生態系に対応するのは何であるか。それこそが文化である。無数のミームが自己保存をかけて自己複製し淘汰し変化することによって文化という系が生み出される。精神分析はこの大きな枠組みの中で捉えなおすことができる。
 「文化」系において精神とは何だろうか。ドーキンスは、『利己的な遺伝子』において生物の知的機能に対して興味深い示唆を残している。我々がコンピュータを使って行うシミュレーション技術を生物が備えていても不思議ではないというのだ。私は、文化という文脈の中ではこのシミュレーション機能こそが人間の精神であると考える。イマージュとして記憶された現実世界は精神世界において再構築されシミュレートされる。生物の精神は、ミームがその生存確率を高めるために現実世界を処理したものであり、「文化」系内での生存機械、個体なのだ。実際、精神世界と現実世界を結び付けているものは、精神分析学においてはシニフィアンとして確認することができる。ミームは精神という個体を作りだし、個体同士の相互作用によって複製されたり変化したりするのである。
 最後に、ミームが複製される現象について扱う。ドーキンスは、ミームが複製されるのは摸倣によると考えた。これは、精神活動における同一化と捉える事が出来るだろう。生物が生殖によって個体のバリエーションを増やしつつ遺伝子のコピーを作っていくように、他者の姿を自己イメージの一部としてコピーする同一化の仕組みによって、ミームは複製されるのである。
 以上のように、精神分析社会学の中で文化とミームの間にあるメカニズムを明らかにするものとして位置づけることができる。生物学が生存機械のメカニズムを明らかにするように、精神分析は精神のメカニズムを明らかにするである。精神分析は意識のハードプロブレムへの突破口にもなるかもしれない。

おわりに

精神分析、2冊の入門書とラカンについての1冊は読みました。正直、まだまだ触っただけだなぁという感じがします。ドーキンスについても読んだのは1冊のみなので、正確な言葉使いか心配です。もし間違っていたら是非指摘して頂きたいです。勉強の糸口になります。
その他コメントありましたら、すごく喜びます。モチベーションがあがります。