性について

 社会起業を考えている学生たちとお酒を飲みました。ものすごい価値観や行動力に圧倒されるものを感じ、自分の力のなさを再確認してしまいました。
 そんな中で話を聞いていると、意外と性について問題意識を持っている人がいるもんだなぁと思いました。

性教育については、文化的な背景や官能学*1として様々議論されるべきだろうという話をしました。猥談ではなく、官能学的議論です。
 一方でホモセクシャルトランスジェンダーについては、本当に深刻な社会的問題であるということが分かりました。しまいには飲み過ぎも関係してか、古い「不安の記憶」を思い出してしまいました。飲み過ぎてあまり記憶がないのですが、帰りはなんだか失礼な形で別れてしまった気がして、どうも気がかりです。

性の社会問題

 話をしてくれた学生の中には、実際に性の社会問題に対して行動を起こしている方がいました。性に対して悩み、自殺をする人は数多くいるそうです。また、そうした方々を受け入れてくれない病院や不動産は数多くあるそうです。電話相談などのシステムに関しても、やはり内容が微妙な問題なだけあって、うまく機能できていないという現状もあるようです。政府に対してアプローチをしたら、話をしている間に居眠りしたり携帯電話をいじったりされてムカついたというお話も聞けました。また、データの有無で対応がかなり違うということも聞けました。
 ただただ想像したこともなかった話を聞くばかりで、自分の中でこの問題を上手く整理できていないというのが今の状態です。話を聞きながら自分に何ができるだろうかと考えて考えましたが、所詮は経験もないちっぽけな学生。大したアイデアは湧きません。中途半端です。自分の力のなさが悔やまれました。しかし彼らは、これからも活動していくのでしょう。いつかまた道の交わるときを考えて、私は勉強します。

自分の性に対する不安

 飲みすぎもあったようで、酒の席でかつて自分が不安に思っていたことを思い出してしまい、中途半端に話を始めてしまったように思います。私の性別は「男」です。恋愛の対象は「女」です。そのことに対し今ではそれなりに自信をもっています。ただし、昔はそれに対し不安に思っている時期がありました。それはたぶん、ジェンダーとして問題になるほどのものではなく、ただ思春期に直面する自己同一性の問題だったのかもしれません。しかし、不安に思っていたことは確かなのです。

自分はバイセクシャルか?

 私は男とセックスしたことはありません。したいとも思いません。ただし、バレエやフィギュアスケート、その他スポーツマンの体をみたとき、その肉体美に対して官能的なものを感じる感覚はあります。はっきり言って、その筋肉の美しさに対して「抱かれたい」と表現することもできるかもしれません。当然、女性に肉体に対してもまた、そこに魅力を感じます。詳細な描写は控えますが、他人の肉体に対して自分の中からは様々な感覚や言葉が生まれてきます。性的な欲求なのか理性的な欲求なのか自分でも分かりません。「体」を芸術としてのデザインと見ているのかもしれません。生物学としての知的欲求も在るように感じます。ただ、湧きおこる感覚に理性的な欲求を感じるがゆえに、今の私は自分の性的対象からホモを意識的に切り離すことができています。
 思春期の頃は、それに対して不安を感じていました。「自分は科学者として生きている」と豪語し、あらゆる立場から公平であろうとしていた当時の私にとって、性別の境界は問題ではないはずでした。しかし、やはり孤独感や「自分は異常なのか?」というような不安はありました。恋をする相手は女であるけれど、友に対して単純な関係性以上の感覚を感じてしまうことに対して、それが親愛の気持ちであるのか、性愛の気持ちであるのか、不安になるところは確かにありました。

自分はトランスジェンダーか?

 私はいまでこそ自分の趣味をそれなりに大きな声で言えますが、結構乙女チックな趣味があります。初めていったディズニーでは、自分でも驚くほど、彼女よりも大はしゃぎしている自分がいました。最近では、「動物園へ行きたい」と仲良くなった女の子を相手に熱く計画を立ててしまいました。ファッションに対しても、自分で着飾ることはナンセンスだと思うけれど、やはり女物の服装やバッグ、小物などをうらやましく思うことはあります。思えば昔から、女の子と混ざっていたような気はします。小学生のころは交換日記をやらされそうになったり、少女向け雑誌の付録を交換し合ったりしていたこともありました。中学生のころも文化系の部活をしていたせいもあるでしょうか。女の子に混ざっていることは自然なことでした。
 それが高校生になって、やはり自分の行動が男らしくないように感じ、どういう行動が自然なのか、必死で考えるようになりました。それは単純に、習慣や行動様式についての「男らしさ」「女らしさ」という話であって、トランスではないのかもしれません。しかし当時は、真剣に無理を通してでもという気持ちで考えていました。今では自分の中の女らしいしぐさや女々しい心理状態を意識したとしても、それは自分の中のパターンであって、ある種の個性みたいなものだと認識しています。

社会問題として直視する

 以上のような背景を持っていて、今回の出会いは、忘れかけていた不安を思いだすきっかけになりました。それはそれで、重要なことなのかもしれません。ただ、なんとなく、その不安を目の前の彼らに打ち明けてしまいたい衝動に駆られたのは、良くなかったように思います。自分の孤独を知って欲しい。自分の孤独に寄り添って欲しい。それは一方的な要求のように感じました。彼らは社会問題として真剣に立ち向かっているのに、私は独りよがりで中途半端。お互いの社会に対するビジョンを話し合って、素敵な関係を築けていたのに、あの場所で自分の不安や焦燥が首をもたげてきたことは残念でなりません。結局私は、逃げるように帰ってしまいました。それは逆に彼らの心を踏みにじるような行為だったのではないかと、今不安に感じています。
 しかし逆にいえば、自分のこうした不安は、性に対して問題を抱えている方々が感じているものよりずっと小さなものなのだと考えられるかもしれません。私も今まで生きてきた中で命を断とうと思ったことは何度かあります。それだけの孤独と不安が、そこにはありました。私がマネジメントを勉強しているのは、「人の生きる社会のため」という問題意識も働いています。それと同様に、性に関係する問題は、社会的な問題としてしっかりと認識すべきだと感じました。。セクシャルマイノリティーは、決して「少数」の問題ではないのです。社会が正当性をもつための重要な課題なのです。
 あまりまとまり無い文章になってしまいました。もしかしたら失礼で不適切な内容かもしれません。ただ、自分の意識をブログという形だけでも公にできたことは、何かしらの価値があると信じたいです。


※追記

再会したら、普通に「おもしろかった。イジられキャラだよね?」とか言われた。悲しむべきか喜ぶべきか酔っぱらいには分からない。

*1:「学問」とつければ高尚になると思ってます(笑

人よ、カリスマたれ。

 とある就活セミナーでとある有名らしい起業家の方のお話を聞いた。その中での問い

10年後の日本は良くなっているか?悪くなっているか?

30人近くの学生の中で「良くなっている」に手を上げたのは2人。その中の1人である私は、その理由としてこう答えた。

良くなっている。なぜなら、世代が変わるからだ。俺たちの時代だ。

 はたから見ると、笑えない冗談である。しかしこれが、大真面目なのであるから本当に笑えない。私は、日本に限らず10年後の世界は良くなっていると答えたい。論理的な根拠はない。世代は変わり、否応なく世界は変化する。そうであれば、良くなっていて欲しい。ただの願望である。
 そんな中で、私は人を見ていて思うことがある。特に私と同じ立場である学生に願わずにはいられないことがある。それは当然、自分自身にもそうであってくれと願っている。

変化を起こす人へ

 私は趣味で歌を歌う人間である。そんな趣味のもと、生まれた言葉がある。

彼らの言葉は、詩
彼らの声は、歌
彼らの人生は、音楽

私はこれまた趣味で大学などで開かれる講演会へ参加する。そこでは実に素晴らしい人々に触れることができる。彼らの言葉に、声に、生きざまに私の心は動き、動機づけられ、生きる活力となる。世界に影響を与える経営者、技術者、活動家らは、その存在が人を感動させる芸術なのだ。
 歌を歌っていると、よく思うことがある。「今この瞬間、自分に出せる全力の歌を歌わなければ、世界は動かない」小心者の私にとって、歌っている瞬間瞬間というのは、本当に不安なのだ。合唱という形態で大勢が歌っていたとしても、歌いだしの瞬間は「本当に歌い出しであたっているだろうか」「みんなちゃんと分かって声を出すだろうか」「息は続くだろうか」不安に思えば思うほど、体も心も硬くなる。しかしそこを思い切って歌い出すとき、世界は動きだし、その"瞬間"は音楽になる。
 すでに変化を起こしている人たちにこんな言葉はいらないだろうけれど、「芸術者たれ」と思ってしまう。あなたのその音楽を聞かせて欲しい。その物語を読ませて欲しい。そして私も、そう求められる人材でありたいと思う。

変化を依頼する人へ

 たまに、次のような言葉を耳にすることがある。

この世の中、どうにか頼むよ。

この言葉を言ったのは、学歴を持たない田舎の友人、リタイヤした老人、そして、文系の学生であった。ここで文系の学生が出たのは、「環境問題のような深刻な問題は、きっと誰か偉大な科学者がなんとかしてくれるだろうから別に気にしないけどね。理系のみなさん頑張ってください。」という文脈からである。
 「世界を変えてくれ」だって?簡単に言ってくれるなよ。私はそう思う。実際、日本の基礎研究に対する補助金が減らされるような議論がなかったっけ?科学者が研究室に閉じこもってばかりいてその価値をアピールするのを疎かにしていたと非難されなかったっけ?大学教育が無駄な人材を大量に排出しているっていう意見もなかったっけ?
 社会の様々な事柄はすべて繋がっていると思う。それが不変のものであるとは思わないから、そのメカニズムを明らかにするのは簡単なことではないだろう。ただ1つ主張したいのは、

あなたの行動も、世界の変化に繋がっているんだよ?

ただ会社員として働いていたとしても、それが経済を活性化させ、社会の人材育成への資金を生み出し、よりよい人材と仕組みが生まれれば、それは環境問題に貢献していると言えないだろうか。人はそれぞれのやり方で、世界の未来にかかわることができると思うのだ。
 変化を求めつつも何もできないと思ってしまっている人には、「カリスマたれ」と思う。あなたの行動が、その周りの人へ影響を与え、それが連鎖していったとすれば、個人の小さな活動はより大きな動きとなるだろう。

変化を望まない人へ

 一方で、変化を望まない人というのも確かに存在する。それは決して悪いことではないと思う。たぶん、普通そうだ。何もしなくても日々快適な生活をしていけるのであれば、ソファーに座ってゴロゴロするだろう。
 ただ、それはきっと、つまらないものだと思う。人と会わず、仕事をせず、きっと料理の味も何の意味も持たないだろう。その極限は、限りなく死に近いのではないか。
 しかし、普通に生きていれば、たった1人の人生だってドラマティックに変化する。生まれてからの20年はそれこそ劇的なものだし、もしも恋をして結婚をするなんてことがあれば、さらに10年は激動だろう。子供ができればさらに20年が変化の日々だろう。変化こそが定常であり、それを受け入れてこそ自然な自分の姿が現れてくるのではないだろうか。
 おそらく、変化を望まない1つの理由として、「変化を恐れている」ということがあるのではないだろうか。変化するということは、今よりも苦しいことが起こるかもしれない。そりゃそうだ。「一寸先は闇」とは言ったものである。あるいは、「安定を求めている」ということもあるだろう。大樹によりかかって生きる方が確実だ。けれど、樹は枯れる。だが闇は一歩進めば目が慣れる。必要なのは、自分自身を支える自分の体と、闇を見極める自分の眼だろう。もし恐れているのなら、私は言ってあげたい。「自分の世界をもっていいんだよ?」世界を自分のものとし、その世界を語っていい。私は世界にそうあって欲しい。きっとそう思えたとき、変化は不安よりも自分を生かす道になるだろう。

若造が世界を語るのは、愚かなことだろうか。

 以上のように、私はなんとも怖いもの知らずなことを書いたように思う。自分の欲望と願望と予測とが入り混じっている。たかが20数年生きただけの若造がこんなことを考えるのは愚かなことである。ましてや学生。社会に何の価値を生み出しただろうか。
 だけれど、若者こそが世界のもつ可能性の源泉だと思うのだ。時代は変化する。世代は変化し、世界は変化する。人がただそれ自身であるだけで、社会は激動するのである。人はすべて、世界を自分のものとし、それぞれの世界を魅力的に語るべきである。そうすればきっと、未来にあるのは魅力的な世界であろう。

合唱サークルのリーダー勉強会資料

私は去年、合唱サークルのマネジメントを行っていました。本当は運営の執行学年ではない上に幽霊部員に近い状態だったのに、人材不足により、駆り出されました。慣れないメンバーたちに囲まれ、分からない業務をこなさねばならないのはとても辛かったけれど、マネジメントは私の本業。心沸き立つところもありました。
そんな中で私が行った仕事の1つに「次世代リーダーの育成」というものがありました。「次の執行学年へリーダーの業務を受け継ぐのだけど、ちゃんと引き継いでる?リーダー・マネージャーとしての資質を開発している?」という問いのもと、その仕組みをつくろうと行動したわけです。
内容としては、「理論」と「実践」。

  • 実践・・・次年度のリーダーはすでに決まっているので、通常の運営業務に混ざってもらうことで以下のようなことを実現してもらいます。
    • リーダーとしての経験を積む
    • 「理論」で学んだことを生かしてみる
    • 学年を越えた活動の活性化
  • 理論・・・たった数回の実践だけでは経験できないこと、分からないことはたくさんあります。そうした事柄を座学で伝えられたらなぁと思い実施しました。以下のような手続きが必要でした。
    • 今年度のリーダーたちが経験したことを理論化し、伝達可能な形にする
    • 「勉強会」として、理論を伝達する

以上のことを、「理論」を1回約2時間の座学で3回、「実践」を1コマの練習を任せることで3回実施しました。これによって私たちの組織は、リーダーの人材にある程度の質が保たれ、さらにこの仕組みを受け継いでもらえれば毎年度の経験は蓄積され、組織として学習・成長していけるのではないかと考えました。
以下において、作成した勉強会の資料を簡単に紹介したいと思います。他の合唱サークルの方々にとって何か有益なものとなれば幸いな限りです。

勉強会資料 概要

技術資料は、サークルにおいて技術的な部分の運営を任されている指揮者・パートリーダーを対象にしてまとめられたものです。これには組織運営に役立つモノの見方・考え方がまとめられており、これを読み合わせることにより以下のことが実現されます。

  • 今年度のリーダー間で経験の共有
  • 次年度のリーダーへ経験の継承

リーダーに必要な技術として、以下の3つが考えられます。

  • リーダーシップを発揮するための技術・・・組織の目標を打ち立て、その内容・意義などをメンバーに伝え、率先する技術
  • マネジメントの技術・・・活動計画を立て、管理する技術
  • 音楽技術・・・活動の中心である音楽活動の質を高めるために必要な技術

技術資料は以下の構成でまとめられています。

  • 運営技術資料・・・リーダーシップのための技術とマネジメントの技術をPDCAサイクル*1に沿って記述しました。
  • 音楽技術資料・・・音楽技術を曲練習の発展段階*2に合わせて記述しました。

運営技術資料

  1. 概要・・・サークルの運営には以下の4つの段階があり、それらを繰り返すことで実施されていると考えられます。それぞれの段階において役立つと思われる技術を列挙していきます。この中でも特にPlanの技術は、不確実な事柄を扱うためある程度の経験や勘のようなものが必要になってきます。これは技術会勉強会のテキストとして用意したものなので、Planの技術は最後のセクションに記述しました。
    1. Plan(計画)・・・「目標」や「要件」を明確にしてスケジュールを立てる。
    2. Do(実行)・・・最善を尽くす
    3. Check(評価)・・・計画とのズレや問題点・疑問点を明らかにする
    4. Action(改善)・・・評価を次に生かす
  2. Doの技術
    1. 時間管理・・・練習はみんなの貴重な時間を消費して行われ、また時間には限りがあります。各練習前にシナリオをイメージすることで質の高い練習が実現可能なのです。
      1. 条件と目標を把握する・・・条件:時間制限、場所、曲目、曲の内容など。目標:「全体像を把握する」「譜面なしで歌えるようになる」など。そのた:資料、伴奏、先生など。
      2. 目標達成へのシナリオを描く・・・次の3つのステップが考えられる。?曲を分析する、?メンバーを分析する、?アクティビティを作る
      3. 練習内容を分配する・・・分解した練習パーツ(アクティビティ)を時間軸上に配置。時間制限などによって取捨選択する必要がある。ドラマティックなおもしろいストーリーを組み立てて下さい。
    2. 練習時に気をつけていること・・・実際に練習を指揮しているときに各々が考えていることをリストアップして共有します。
      1. 行動と目的・・・「どんな行動」が「どんないいこと」を引き起こしたのか。その「いいこと」を再現するために具体的な「行動」を改善することを考えるのです。
      2. 気をつけているポイントシート・・・自分の考える「気をつけようと思うこと」をリストアップして共有。
      3. 反省する・・・練習毎に自分なりにポイントをうまく実践できたか評価しましょう。
    3. リーダーシップとフォロワーシップ・・・組織運営について考えてみる。
      1. リーダーとは何か?・・・「あなたの右手の5本指の内、リーダーはどの指ですか?」本当は、リーダーとマネージャーは違うんだよ。
      2. フォロワーとは何か?・・・この大多数こそが組織の実態であり、活動主体。組織を実際に支えているこの大多数とどのような関係を築いていくか。
      3. どんなチームがお好き?・・・ピラミッド型、フラット型、学習する組織などなど。
  3. Check・Actionの技術・・・言いかえれば反省の技術。個人だけではなく組織として学習していきましょう。
    1. ミーティング・・・実際にPDCAサイクルを回すためには、Check-Actionの作業を行う必要があります。
      1. ミーティングを開く・・・「会って話す」「電話で話す」「メールで話す」の「会って話す」。「時間」「場所」「議題」「目標」の4つを考えておく。
      2. 記録する・・・「共有」「確認」「蓄積」できるようになる。
      3. ミーティングの構成・・・「現在」「過去」「未来」のことについて考える。
    2. 反省・分析・・・漠然と起こったことをリストするだけでなく、良いことも悪いことも何が原因だったのかまで考えましょう。
      1. 学習する・・・大事なのは、?やってみる!?助け合う!?反省する
      2. なぜなぜ分析・・・原因分析する手法
      3. PSF(Performance Shaping Factor*3)・・・個人の意識や精神を注意するではなく、環境を変えることでみんなの行動を変える
    3. 改善・・・分析をしたら次は改善
      1. シナリオを考える・・・「こうしたらこうなって、こうしたらこうなって、こうしたらこんないい感じになる!」というシナリオを描く
      2. 一般化する・・・他の場面でも使えるような形にまとめることができて、そのアイデアを伝えることができれば、それは個人だけの技術ではなく組織としての技術となります。
      3. 来年も技術会勉強会をやってね♪・・・もしもこの企画が世代を超えて続けられていけば、私たちがいなくなった10年後のサークルはもっといいチームになっているのではないでしょうか。
  4. Planの技術
    1. 要件を明確にする・・・計画の要は「情報」。「要件」とは、最低限満たされるべき項目のこと。
      1. 目的・目標を明確にする・・・活動の目的を明確にすることで、活動の方針や必要な要件などが定まってきます。達成目標を構造化していくことで活動の目的や目標を具体的な活動内容へと結びつけることができるようになります。
      2. プロジェクト・マップ*4・・・活動を行うのに必要な条件を実際に列挙してみんなで確認する。
      3. シミュレーション・・・プロジェクト・マップが十分であるかどうかの評価
    2. スケジューリング・・・活動目標を中心に活動内容を立て、練習日程に分配
      1. 活動内容の分解・・・3S*5がポイント「単純化-Simplification」「標準化-Standardization」「専門化-Specialization」
      2. 活動の分配・・・分解した練習内容を各練習日に分配していくときの注意点
      3. 計画の共有・・・計画は、全員がそのイメージできるようになって初めて実現できる。
    3. 不確実への対応・・・チームの本質が問われる
      1. プロジェクトとは、熱気球のようなものだ*6・・・状況は変わります。?目的を考える、?不明なことは明確にする、?不確定のものは方針を考えておく
      2. 経験を体系化しておく・・・もてる情報は何らかの形で体系化しておくと、イザというときの助けになるでしょう。
      3. 協力を求める・・・リーダーと名は付くけれど、必ずしも正しい方向へ導くことができるとは限りません。チーム全体のためにも、協力を求めるということは悪いことではありませんよ。

音楽技術資料

  1. 概要・・・ステージに向けて練習を組み立てていく過程に沿って、音楽技術を以下の3つに分類しました。それぞれのセクションでは、離散的ではありますがポイントとなる視点を列挙し説明する形で話を進めました。
    1. 楽譜を読む・・・曲の構造を理解するためのポイント
    2. 合唱をする・・・発声やステージの組み方について
    3. 音楽をする・・・音楽を豊かなものにするための考え方
  2. 楽譜を読む
    1. 構成を知る・・・初めて楽譜を手にしたというところから話を始めます。
      1. 全体を把握する・・・楽譜を読む第一歩は、楽譜をパラパラとめくり、とりあえずざっと全体を把握すること。
      2. 小節を読む・・・楽譜には「列関係」と「行関係」がある。
      3. 拍と拍子を感じる・・・拍:曲の中での単位時間。生活の中でいう「秒」。拍子:拍を一定数集めた枠。生活の中でいう「1日」。
    2. 音階と調を知る・・・曲の中に現れる音と音の間には実はルールがあり、それを知っていると曲を読む助けになるかもしれません。
      1. 音階について・・・言葉の確認
      2. 調とは何か・・・言葉の確認
      3. その曲の調は何か・・・2つの方法。?主和音を読む、?音階と雰囲気を読む
    3. 曲の構造を知る・・・曲を分解したあとは、今度はそれを組み立ててもっと大きな枠組みでとらえていきましょう。
      1. 和音と和声を知る・・・和音:縦のつながり。同時に鳴る音と音の関係。和声:横のつながり。主音と根音との関係。
      2. 音のつながりを考える・・・?和音と旋律、?和声と分配、?音の引き継ぎ
      3. 構造を考える・・・楽式について。?モチーフ(動機)、?主題(楽節)、?楽章、?曲、?組曲
  3. 合唱をする
    1. 発声する・・・合唱をするには、1人1人の歌が必要不可欠です。
      1. 響きのメカニズム・・・2つのスピーカー「鼻腔」「胸郭」
      2. 声質のメカニズム・・・「同じ音程なのにいろんな音色があるのはなぜですか?」良い声:調和する音を取り出す。倍音:ある音が含んでいる倍々の高音。
      3. 呼吸と声・・・呼吸は運動の基本。
    2. 声を合わせる・・・複数人で歌うとどういうことが起こる
      1. 自然音のメカニズム・・・指をパチンと鳴らしたときや机をコツコツと叩いたときの音もドミソの組み合わせでできている
      2. 合唱のメカニズム・・・みんなの声の「合う成分」と「合わない成分」
      3. ハーモニーを作る・・・ベースは大事
    3. 歌う・・・曲と詞。いい歌を歌うためには何を意識したらいいか
      1. 発音を意識する・・・「母音」と「子音」。発音の仕組みを解き明かす。
      2. メッセージを意識する・・・歌の中においても朗読のイントネーションは、詩のメッセージを伝える上で重要な働きをもつと考えられます。
      3. 音を意識する・・・?呼吸を合わせる、?発音を合わせる、?打点を合わせる
  4. 音楽をする
    1. 感性について・・・音を楽しむための感覚について
      1. 感性のメカニズム・・・刺激を「知覚」して自分の体験と「関連」付けるアンテナ。違いが分かるということ。
      2. 感性をブラッシュアップする・・・いろんな「違い」をインプットするようにしましょう。
      3. れから経験する・・・違いに意味を与えるのはまた別の人間的な経験によるもの
    2. 解釈について・・・「解釈」ってよく言われるけど、その実態は?
      1. 詩の解釈・・・?読む解釈:文章、時代背景、作者といった文脈から詩のメッセージを理解する。?詠む解釈:韻や呼吸、朗読の表現をよく考え、歌を作っていく
      2. 音の解釈・・・?縦の解釈:和音の変化していく中でのイメージをもつ。?横の解釈:旋律を歌う中でイメージをもつ。
      3. 呼吸の解釈・・・ステージ上で歌い手1人1人が行う息遣いを感じ合う
    3. ステージとチームワークについて・・・「音楽は時間の芸術」といわれるそうです。
      1. ステージ・・・いいステージを作るにはどのようなことに注意するといいでしょうか。
      2. 小ステージ・・・練習も小さなステージ
      3. チームワーク・・・大勢の人間が集まってチームワークによって作り上げる1つの作品です。ここでは、どのようなチームワークができるか。

反省

以上が、私の所属していたサークルで作った、指揮者・パートリーダー向け勉強会の資料となります。
正直、たいへんでした。企画したのは私で、一緒に作っていたメンバーからは「後輩に押し付けるみたいで嫌だ」とか「言葉にできないやってみなきゃ分からないことってある」とか言われました。それでも、後輩たちのためになると信じ、組織全体のためになると信じ、なんとか説得して、みんなに時間を作ってもらい、話し合い、作り、いっしょに考え合いました。量としては、運営技術資料23P、音楽技術資料31Pです。後半に行くほど、息切れ感が強くなりますw
いい加減な内容も多いけど、この企画、後輩たちがどんどん発展させていってくれたらいいんだけど…。

*1:PDCAサイクルとは・・・プロジェクトの運営は次の4つの段階に分かれており、これらを繰り返すことで運営されるという考え方です。Plan(計画)-Do(実行)-Check(評価)-Action(改善)

*2:曲練習の発展段階とは・・・曲の練習は、音とりから本番まで次の3つの要素があると考えられます。?楽譜を読む、?合唱をする、?音楽を作る

*3:PSFとは・・・人の行動に影響を与える要因

*4:プロジェクト・マップとは・・・勝手に提案して名づけました。プマインドマップみたいなもので、WBS(Work Breakdown Structure)みたいなもの。

*5:本当は作業の改善で出てくる標語なのですが、練習の単位を作るときにも使える標語だと思うので…。

*6:佐藤知一さんという方が、大学の講義「プロジェクト・マネジメント」でおっしゃった言葉を引用しています。

初めて釣りをした!

2010年2月23日火曜。今日は実に素晴らしい日だった。私の人生において、初めて「釣り」という出来事が起こったのである。これは重要な事件である。釣りは私にとって、釣りそれ自体の新鮮な経験以上の変化を起こしてくれた。

遂に釣りをする

記念すべき最初の釣りは、大学の釣りサークルの人たちの導きによって始めることができた。私はもう大学3年生なのだが、突然「釣りをしてみたい」というメールから始ままった私のわがままを、彼らは快くしかも素敵な形で実現してくれたのだ。
場所は「柿田川フィッシュストーリー」という管理釣り場。なんと静岡県。道中は富士山を拝むこともできた。この日の朝は午前4時起き。前日はワクワクするあまり、遠足前日の小学生のように眠ることはできなかった。それ以前に生活リズムが当然のように合っていなかった。

せせらぎの音に身を浸し
魚の群れに心を投げる

成果は初めてにもかかわらず10数匹にも上る。ほぼすべての池で魚をつり上げ、後半は唯一つり上げることかなわなかった大物の集まる池を攻めるに至った。この日使ったルアーは

  • スプーン(小アジのような形をした、おもちゃみたいなルアー)
  • スティック(つまようじのようなルアー)
  • ミノー(うまそうな小魚にしか見えないルアー)

最終的に私はミノーの虜になっていた。いかに魚になりきるか。魚を観察し、魚の感覚を想像し、手首から先に意識を集中し、魚の演技をする。ひたすらである。
私の心はもっと魚を求めている。こんな気持ちになるなんて思いもよらなかった。

魚を捌く

この日私は、釣りをするだけでなく、釣った魚を目の前で捌いて刺身にして食うという経験をした。信じられない。やや憧れの気持ちもあるにはあったが、まさか初めての釣りで経験できるとは思いもよらなかった。
サークルの釣り名人がつり上げた55cm大のサーモンを彼は私の目の前で捌いてくれた。3枚に下ろされる魚の身はなんとも言えない鮮やかなオレンジで、それこそジューシーに実ったオレンジの果肉のようにも見えた。ナイフで小さく切った一切れを頬張ると、身はぷりぷりとしていてなんとも美味しい!血抜きがおくれたらしく、「もっと美味しくなる」と名人は言っていたが、私には信じられないほど新鮮だった。確かに、醤油だけでなくわさびもあったらもっと美味しかったろうとは思った。

死に触れる

初めての釣りという素晴らしい経験は、楽しいことだけではなくおぞましくも重大なものを私の心に与えてくれた。私は、それまで深くは考えてこなかった「釣り」というレジャーが、「狩り」であることを知った。娯楽のために生き物を傷つけ、殺す。唇を貫通する釣り針。釣り糸に引かれ暴れる魚。針がエラに刺さり、血を流してのた打ち回る魚。止めにハンマーで頭を叩かれる瞬間。数秒前まで全身をもって泳いでいたはずの体が分解され、バケツの中で血を流していく姿。そして、その身を口にする私。それらすべては、私の心を揺さぶった。
別に死は特別なことではない。私は父の死体も見ているし、無数の生物の死骸を食べてきた。理解している。けれど、死はいつも私の心を揺さぶるのである。私はこれからも釣りをするだろう。釣り針を投げ入れるたび、私は自らの唇に針を刺す瞬間を想像するだろう。

食事のため以外で殺生をすべきではないか
釣り針の付いていない釣り糸を垂らすべきか

私の心はこれからどう変化していくだろうか。楽しみである。

私は一生、幸せになる。

以上のような経験をするに至ったのは、たった1つの言葉から始まる。1月、私が試験勉強ばかりの毎日に嫌気をさしていたとき耳にした言葉である。

一生幸せになりたかったら釣りを覚えなさいってことわざがあるんだぜ

すべてはそこから始まった。私の素晴らしい1日は、まだまだ始まっていくのである。

科学の哲学

講義「科学と哲学」でレポートが課されました。せっかくなのでブログに貼り付けます。テーマは、

「科学の方法論として認められる論理形式についてまとめなさい。」2000字以上。

いちおう、3テーマのうちから1つ選択で、他には

  • ニュートン力学の描く世界観を説明したうえで、それについて自分の意見を述べなさい」
  • ダーウィンの進化論とニュートン力学の違いを説明し、それらが両立するかどうかについて自分の考えを述べなさい」

がありましたが、以下にも書いたように、私はアブダクションの論理について一般的に扱われている形で納得できなかったので、敢えて「科学の論理形式」について扱いました。

1.はじめに

本レポートの目的は、科学の現場で使われる推論の方法と理論を説明する論理について整理することである。一般的な方法論として3つが挙げられる。

一般的にこれら3つはそれぞれ独立した推論の方法として扱われるが、本レポートにおいては推論として帰納法演繹法の2つを扱い、理論を説明する論理としてアブダクションを扱う。これは、筆者がアブダクションによる推論の仕組みは帰納法演繹法と本質的な違いはなく、これは実践の上での方法論であると判断したためである。
以下において科学の目的を明確にし、推論の2法について説明した後にアブダクションという科学で用いられる論理を説明する。

2.科学の目的

科学の目的は、自然現象のメカニズムを解き明かすことである。前提として自然現象は観測される事象の背景により抽象的な構造が存在するというという考えがある。どういうことかというと、「このリンゴが落ちる」という事象と「あのリンゴが落ちる」という事象の背後には「リンゴは落ちる」という規則があり、「ミカンは落ちる」という規則も合わせて「ものは落ちる」というより抽象的な規則があり、その背後には「質量をもった物体は引き寄せ合う」という規則がある。こうした構造が自然界には存在し、科学は具体的な事象から抽象的な方向へと1つ1つ理論によって規則を明らかにすることで、自然界の構造を明らかにすることを目的としている。科学がこの目的のもとで実践されるのであれば、科学で用いられる推論や論理はこの目的のもとで使用されることになる。

3.推論

推論の方法を説明する。2種類の方法が存在する。演繹法帰納法の2つである。演繹法は、抽象的な規則からより具体的な事象を推測する行為である。また、帰納法は、具体的な事象からより抽象的な規則を推測する行為である。

3.1.演繹法

演繹法は、抽象的な規則から具体的な事象を予言することで行われる。演繹について論じた者にはアリストテレスフレーゲがいる。アリストテレスは三段論法を中心に扱った。三段論法は2つの前提から1つの結論を導く論理である。アリストテレスは、論理として成立するパターンを洗い出し、格式表としてまとめた。内容とは関係なく格式表の組み合わせにより演繹論理を生み出すことができる。フレーゲは、論理記号を作ることで演繹論理の可能性を広げた。以上のようにして演繹法の論理は深く研究された。
しかし、演繹論理は内容の正しさを保証しない。研究によって得られたものは形式としての正しさや利便性なのである。科学において必要とされる内容の正しさは、別の形で保障されなければならないということに注意が必要だろう。

3.2.帰納法

帰納法は、具体的な事象からより抽象的な規則を予想することで行われる。このとき、より一般的な規則集合を用いて推論は行われる。
帰納法について論じたのはベーコンである。ベーコンは帰納的な推論で陥りやすい誤りを「精神の偶像」として整理した。以下の4つが挙げられた。

  • [部族の偶像] 人間であるという限界によって正しい推論ができない
  • [洞窟の偶像] 個人の経験や嗜好によって正誤が左右される
  • [市場の偶像] 言葉を誤って使ってしまい、正しい推論ができない
  • [劇場の偶像] 権威や常識などによって正誤が左右される

また、ベーコン測定装置の役割を強調した。実験は反復できるものでなければならないという想定に基づいているのだ。
一方、帰納法はヒュームによって反論された。ヒュームによれば、帰納法による推論は「自然の一様性原理(Principle of the Unitformity of Nature)」を前提にしており、この原理を正当化することができないために帰納法による推論も正当化されないというのだ。

4.科学の用いる論理

以上のように、推論には演繹と帰納の2種類が存在する。科学においては、この2つの推論を用いて自然の構造を明らかにしていくことになる。このとき、科学においては理論が正しいということを論理的に示す必要があり、これら推論を「どのように使うのか」ということが問題になる。
これについての議論はいくつかあり、ポパー反証主義ベイズ主義等が挙げられる。文字数を考慮して本レポートではデュエムクワインテーゼとバースのアブダクションについて扱う。

4.1.アブダクション

演繹法帰納法という2種類の推論の方法を用いて科学の目的を達成するために用いられる方法論がアブダクションである。アブダクションは次の3つの手続きを経て推論を行う。

  1. 帰納法による仮説立案
  2. 演繹法による論証
  3. 尤もらしい仮説の採用

確かに、アブダクションは演繹・帰納と並列され第3の推論法として扱われる。そこで注目されるのは1.「帰納法による仮説立案」において通常の帰納法と比べ論理に飛躍があるためである。しかし、その推論の仕組みにおいては通常の帰納法と本質的な違いはない。ただ推論の前提となる原理が多様化し、不明確になったことによるのだ。
アブダクションによる推論の特徴は、3.「尤もらしい仮説の採用」である。デュエムクワインテーゼ「どんな理論であれいかなる観察結果からも支持される」により、あらゆる理論が対等になった。そのもとでは、個人の中で「尤もらしい仮説の採用」だけではなく、社会的な場においても「尤もらしい仮説の採用」が行われる。ここで「尤もらしい」にはいくつかの条件が考えられる。

  1. より多くの事象を説明できる。特に未観測の事象を予言したとき、信頼度は増す。
  2. 単純である。対称性や公平性の度合いが高い方が信頼されやすい。
  3. 認知されやすい。より多くの人に理解された方が採用されやすい。

このように、理論が真理に近いかどうかは必ずしも「尤もらしい」かどうかを決定しない。アブダクションによって、科学場において経済的な問題や政治的な問題が強調されたのである。

5.おわりに

以上は、科学での説明法を私なりに整理して説明したものである。多くの場合、アブダクション演繹法帰納法に続く第3の方法論として扱われるが、私はこれらが本質的に違うものとして納得することができなかった。むしろ、デュエムクワインテーゼと相まって、科学における政治という問題点を浮き彫りにしたのではないかと考えるのである。

実はレポートの条件をちゃんと満たしているか微妙なのです。説明だけじゃなく自分の考えまで述べましたし、授業で扱った話題を全て説明したわけじゃない。でもまぁ、一般教養の講義だし、落とすことはないさーとなめきった対応です。わがままで、自分勝手なのかもしれないけど、社会に対して悪いことはしていないと思うし、むしろいいことをしていると思っています。

条件を満たすだけじゃないというのは、私が大学生に対してもっていた理想であり幻想。実際は、条件を満たさないということはルールを守らないということで、評価は下がります。酷ければ、評価されることなく排除されます。一方で、私は条件を満たすことが強調されるこの社会のシステムに魅力を持てません。また、ルールを壊し再構築することこそ本当に必要な行為なのではないかとも思います。学生のもつ社会的な責任とは、社会人にとっての脅威となること。まぁ、脅威といっても攻撃的であれというわけではなく、企業がリストラによってシステムを再構築するように新しい世界を切り開く人材たれという意味です。

最近、就職活動についての話題を見たり、twitterなどで「学生と社会人」という構図を見たりしていると、もう何が正しいのか分からなくなりました。私にできるのは、排除されない程度に条件を満たしつつ、戦略的にやりたいようにやること。ああなんかこんなこといってるとただの不良じゃん中二じゃんって気がしてきました。社会は政治ですね。頑張ります。

精神分析とは何か

今期、英語Readingの講義で精神分析についての文章を読みました。そこで精神分析という分野に興味をもったので、自分なりのアイデアをレポートにして提出しました。せっかくなのでブログに貼り付けます。
ただ、この講義かなり緩い講義で、「800字以上書いて出してくれればいいから。テーマは何でもいい。」そんなスタンス。ですので、大雑把ではありますが。。。しかも、浅学のまま作った文章なので、間違っている部分多そうで怖いです。。

遺伝子から文化へ〜精神分析とは何か?〜

 リチャード・ドーキンスは、著書『利己的な遺伝子』の中で文化における最小単位として自己複製子「ミーム」を提唱した。それによって、文化は無数のミームが集まってできたミーム・プールとして捉えられるようになった。本レポートは、ミームを中心に語られる社会学の中で、精神分析がどのような役割を担い得るかを考察する。イメージを得やすくするため、遺伝子を中心に語られる動物学からの類推を中心に議論を進める。
 はじめに、これから精神分析を捉えなおす文脈である「文化」について扱う。『利己的な遺伝子』において動物個体は、遺伝子の生存率を高めるための機械として扱われた。生命誕生からの歴史の中で突如現れた自己複製という性質をもった物質は、数を増やし淘汰し変化しながら自己保存のための仕組みを発達させた。そして現在まで仕組みをを進化させてきた結果が、生物という生存機械だというのである。そして、生物同士の相互作用によって作り出される系は、一般的に生態系として認識されている。では、社会学という文脈において生態系に対応するのは何であるか。それこそが文化である。無数のミームが自己保存をかけて自己複製し淘汰し変化することによって文化という系が生み出される。精神分析はこの大きな枠組みの中で捉えなおすことができる。
 「文化」系において精神とは何だろうか。ドーキンスは、『利己的な遺伝子』において生物の知的機能に対して興味深い示唆を残している。我々がコンピュータを使って行うシミュレーション技術を生物が備えていても不思議ではないというのだ。私は、文化という文脈の中ではこのシミュレーション機能こそが人間の精神であると考える。イマージュとして記憶された現実世界は精神世界において再構築されシミュレートされる。生物の精神は、ミームがその生存確率を高めるために現実世界を処理したものであり、「文化」系内での生存機械、個体なのだ。実際、精神世界と現実世界を結び付けているものは、精神分析学においてはシニフィアンとして確認することができる。ミームは精神という個体を作りだし、個体同士の相互作用によって複製されたり変化したりするのである。
 最後に、ミームが複製される現象について扱う。ドーキンスは、ミームが複製されるのは摸倣によると考えた。これは、精神活動における同一化と捉える事が出来るだろう。生物が生殖によって個体のバリエーションを増やしつつ遺伝子のコピーを作っていくように、他者の姿を自己イメージの一部としてコピーする同一化の仕組みによって、ミームは複製されるのである。
 以上のように、精神分析社会学の中で文化とミームの間にあるメカニズムを明らかにするものとして位置づけることができる。生物学が生存機械のメカニズムを明らかにするように、精神分析は精神のメカニズムを明らかにするである。精神分析は意識のハードプロブレムへの突破口にもなるかもしれない。

おわりに

精神分析、2冊の入門書とラカンについての1冊は読みました。正直、まだまだ触っただけだなぁという感じがします。ドーキンスについても読んだのは1冊のみなので、正確な言葉使いか心配です。もし間違っていたら是非指摘して頂きたいです。勉強の糸口になります。
その他コメントありましたら、すごく喜びます。モチベーションがあがります。

こぞことし

 1年が終わろうとしています。あと15日ぐらいありますが、そろそろ年を越す覚悟をしておこうかと思います。例年、年末年始はなぜかアホみたいに焦りながら必死で勉強している私がいるからです。何故そんなに必死なのかは、ちょっと思い出せません。年越しの瞬間はいつだってマクドナルドで泣きながら勉強です。今年はそうならないよう、前々から覚悟しておこうかと思います。

今年のテーマだった「カネ」

 今年のテーマは、「カネ」でした。これは、基本的資源である「人」「もの」「金」「情報」のうちの1つ、「金」のことです。「カネ」は、私にとって最後の壁でした。

 いま管理工学を勉強している私にとって、この基本的資源に対する意識的な軸というのは、この先どのような技術者になるかという点で重要な問題です。

  • 「もの」・・・理学を志向していた私にとって、数学や理科のような形で「もの」に対する意識は始めからそれなりにありました。(大学生になって不勉強なあまり力は弱まりましたが・・・。)
  • 「人」・・・幼少から対人関係や対社会関係において困難を感じていたために言語学や哲学、政治学などはかなり関心のあるテーマでした。
  • 「情報」・・・大学生になって初めてPCを手に入れた身として、苦手な部類ではありましたが、去年以前までに情報系の友人やアルバイトという手段で武者修行をし、それなりのリテラシーは身についた気がしています。

 そして残る「金」。これまでは、なかなか「金」に対する興味を持てずにいました。高校生までの生活にしても、昼飯代として渡されるお金を使わずに貯金しましたし、制服以外の服が必要なときは肌着に着るヨレヨレの白Tシャツそのままで出歩いたものです。金はあった方がいいに違いないが、そんな手に入るものでもないから贅沢しないで切り詰めるというのが、私の基本的な思考パターンでした。そこで「金」と言われてもまったくピンとくるものがなく、ビジネスに対する意識も低く、というのがこれまでだったのです。

 今年のテーマとして掲げた「金」に対して、私はそれなりに自分の意識を開拓できたような気がしています。
ビジネス書籍を読むようになり、ビジネスに対する意識は高まっています。
会計というものに関しても、単純にIRのためのものという感覚から「組織活動を評価するもの」という組織や社会に対する方法論として意識の軸がリンクしました。
金融に関しても、ただお金の貸し借りという感覚からキャッシュフローを計画・評価するという形で一般化された感覚を持つことによって、マネジメントの手法としての意識が高まりました。
しかし、本当は簿記3級ぐらい取ってみるつもりだったのですが、そんな頑張りは発揮できませんでした。。。具体的な技術を身につけたかと問われると微妙ですが、それでも私の中で「金」に対する意識の軸は確かに立ちました。これは進歩です。

来年のテーマは「マネジメント」

 大学4年目にしてようやく「人」「もの」「金」「情報」の4本の軸が私の中に立ちました。その次に発展させるべきは、これらの軸を統括する「マネジメント」の意識でしょう。せっかく立った意識の軸を細らせずに勉強するためのマネジメントが必要です。ある意味、ここでいうマネジメントは「習慣づけ」とも言い換えられるかもしれません。単純に勉強テーマだけではなく、日々の生活をより意義のあるものにすべく習慣づけたいものがあります。

  • 週2冊以上本を読む・・・outputのための戦略的な読書を!
  • 運動する・・・「健全な精神は健全な肉体に宿る」*1
  • 衣食住をしっかり・・・プロフェッショナルな知的労働者を目指すものとして、品質の維持には努めるべき

そんな基本的なところから、いつか価値ある管理工学技術者にならんと来年の抱負にしようと思うのでございます。

*1:本当の意味は「健全な精神が健全な肉体にやどったらいいのになぁ」ユウェナリス-Wikipedia